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松山地方裁判所宇和島支部 昭和42年(ワ)3号 判決 1968年2月21日

原告

岩城沢一

被告

株式会社浜商

ほか一名

主文

被告両名は、原告に対し、各自、金四七万一、四三四円およびこれに対する昭和四二年一月一五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告の被告両名に対するその余の請求を、いずれも棄却する。

訴訟費用は、これを一三分し、その八を被告両名の連帯負担とし、その余を原告の負担とする。

この判決の第一項は、原告において、被告両名に対し、それぞれ、金一〇万円の担保を供するときは、これを仮に執行することができる。

事実

第一、当事者双方の申立

一、原告は、「被告両名は、原告に対し、各自、金八一万七、〇五六円およびこれに対する昭和四二年一月一五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告両名の負担とするとの判決並びに担保の提供を条件とする仮執行の宣言を求めた。

二、被告両名は、それぞれ、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二、当事者双方の主張

(請求の原因)

一、原告は、農業を営むかたわら農閑期に株式会社高月組の土木工事人夫として雇われ就労していたものであり、被告株式会社浜商(以下被告会社と略称する)は、宇和島市湊町五番地に宇和島営業所を設置して真珠養殖資材の製造販売業を営み、被告三原を同営業所の小型貨物自動車の運転手として雇入れていたものである。

二、昭和四一年五月二四日午前九時四〇分ごろ、原告は、町役場での用件をすませて帰宅するため国道五・六号線を第二種原動機付自転車に乗車して南進し、愛媛県北宇和郡津島町大字下畑地から同町大字於泥に向う道路と同国道との交差点を右折して同町大字於泥方面に方向を転じようとしたところ、被告三原が被告会社の業務のため小型貨物自動車を運転し、原告の後方から追尾南進して来て、まさに右折し了ろうとする原告の第二種原動機付自転車の後部に追突して、原告を同国道上に転倒させて、左後頭部その他を道路上に激突せしめ、これにより原告に頭蓋骨骨折等の傷害を負わせた。

三、右事故は、右折信号して進行しようとする原告を前にして被告三原が前方注視の義務を怠り、脇見運転をした、同被告の過失により発生したものであるから、被告三原は、民法第七〇九条により、また、その使用者である被告会社は、自動車損害賠償保障法第三条および民法第七一五条により、それぞれ、原告に対し、原告が右事故によりこうむつた損害を賠償する義務がある。

四、原告は、右事故により次の損害をこうむつた。

(一) 財産上の損害

1. 金一二万八、二五三円

原告が前記負傷のため本件事故の日である昭和四一年五月二四日から九月一一日まで愛媛県北宇和郡津島町所在国保津島病院に入院して治療を受け、負担した医薬診療入院費の合計額。

2. 金六、二〇〇円

原告が同病院入院中の同年五月二四日から七月二五日までの間患部等の冷却用に費消した氷代金。

3. 金二万五、〇〇〇円

原告が同病院に入院していた期間中要した栄養食餌代その他の雑費。

4. 金三万九、五〇〇円

原告が同病院に入院していた期間のうち七九日間附添看護人を要した、その日当一日当り金五〇〇円の合計額。

5. 金四、五〇四円

原告が同病院退院後同年一一月三〇日まで本件負傷のため同病院で通院治療を受けた治療費。

6. 金二、八一九円

原告が本件負傷のため同年一一月九日宇和島精神病院で治療を受けた費用。

7. 金一、八七八円

原告が本件負傷のため同年一〇月二四日九州大学附属病院で診療を受けた診療費。

8. 金二万六、四〇〇円

原告が本件負傷のため農耕に従事出来ず、やむを得ず、訴外加賀田藤士一を雇い、同人に合計四一〇平方メートルの田地の田起し、稲の植付けをしてもらつたため支払つた労賃の合計額。

9. 金一八万三、〇〇〇円

原告は、本件負傷のため同年七月一日から一二月三一日までの間、土木工事人夫として就労することができなかつたが、もし本件負傷がなかつたならば、右就労により一日少くとも金一、〇〇〇円以上の収入をあげ得たので、原告が本件負傷のため喪失した右期間一八三日中の得べかりし利益の合計額。

(二) 精神上の損害

1. 慰藉料金四〇万円

原告は、本件事故直後意識不明となり、そのまま前記津島病院に入院して同年九月一一日退院したが、今なお通院治療を受けており、頭痛および左手がきかない等の後遺症に悩まされ、労働につけない状態であるから、原告が本件負傷のためこうむつた精神的苦痛は甚大で、これを慰藉するため必要な金額。

五、よつて、原告は、被告両名に対し、それぞれ、右損害額合計金八一万七、〇五六円およびこれに対する弁済期の経過した後の日である昭和四二年一月一五日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(被告両名の答弁)

一、請求の原因一、および二、の各事実は、認める。

二、同三、の事実は否認する。本件事故は、被告三原の過失により発生したものでなく、原告みずからの過失により発生したものである。すなわち、原告は、原告主張の日時に、その主張の国道において、被告三原運転の小型貨物自動車の前方約三〇メートルを第二種原動機付自転車を運転して被告三原と同一方向に進行していたところ、原告主張の交差点にさしかかつた際、原告は、被告三原運転の小型貨物自動車が後方から進行して来ることを知りながら、衝突を避けて道路を横断することができるものと軽信して、突然、何らの合図もせずに被告三原運転の自動車の前方を横切つたため本件衝突事故が発生したものであるから、本件事故の原因は原告の無謀運転にある。したがつて、被告両名は、本件事故につき何ら責任を負うべき理由はない。

三、同四、の事実は知らない。

(被告会社の抗弁)

答弁において主張したとおり本件事故の発生は被告三原の過失によるものでなく、原告の過失によるものであり、かつ、当時、被告両名は被告三原運転の小型貨物自動車の運行につき注意を怠つておらず、さらに右自動車には構造上の欠陥または機能の障害もなかつた。したがつて、被告会社は、原告に対し、本件事故に関し自動車損害賠償保障法第三条所定の責任を負うべき理由はない。

(被告両名の抗弁)

仮に、被告両名が、原告に対し、本件事故により原告がこうむつた損害を賠償する義務があるとしても、

一、答弁において主張したとおり本件事故の発生につき原告側にも過失があつたから、過失相殺を主張する。

二、自動車損害賠償保障法に基き保険会社が保険金二九万九、二五七円を原告の前記津島病院における治療費として津島町に支払済である。

(原告の被告会社および被告両名の抗弁に対する答弁)

抗弁事実中、被告両名主張のとおり保険会社が津島町に保険金二九万九、二五七円を支払済であることは認めるが、その余の事実は否認する。右保険金は原告が津島病院において本件負傷の治療を受けたため要した同病院での治療費合計四二万七、五一一円の一〇分の七に相当する金二九万九、二五七円に充当せられ、原告が本訴で請求する同病院での治療費は右充当分を除いた分であり、また、本件事故発生につき原告には過失がなく、もつぱら被告三原の過失によるものである。

第三、証拠関係〔略〕

理由

一、本件事故の概要

宇和島市湊町五番地に宇和島営業所を設置して真珠養殖資材の製造販売業を営んでいた被告会社は、被告三原を同営業所の小型貨物自動車の運転手として雇入れていたこと、昭和四一年五月一四日午前九時四〇分ごろ、原告は、帰宅するため国道五六号線を第二種原動機付自転車に乗車して南進し、愛媛県北宇和郡津島町大字下畑地から同町大字於泥に向う道路と同国道との交差点を右折して同町大字於泥方面に方向を転じようとしたところ、被告三原が被告会社の業務のため小型貨物自動車を運転し、原告の後方から追尾南進して来て、まさに右折し了ろうとする原告の第二種原動機付自転車の後部に追突して、原告を同国道上に転倒させて左後頭部その他を道路上に激突せしめ、これにより原告に頭蓋骨骨折等の傷害を負わせたことは、当事者間に争いがない。

二、被告三原の過失および被告両名の損害賠償義務の有無

〔証拠略〕を総合すると、本件事故当時、被告三原は、被告会社の用務のため、かつて本件事故現場を自動車で何辺も通過したことがあるため、本件事故現場に交差点があることなどその道路附近の状況を了知していたこと、本件事故当日、被告三原は小型貨物自動車を時速約五〇キロメートルで運転して前記国道(幅員七・八メートル)の中央より左側を南進し、交通整理の行なわれていない前記交差点の手前約五〇・七メートルの地点にさしかかつた際、その前方約三五・三メートル(右交差点の手前約一五・四メートル)の道路左端よりを、原告が前記原動機付自転車を運転して時速約一〇キロメートルで同一方向に進行しているのを初めて認めたこと、ところが、そこから、原告は右交差点において右折しようと思つて右折の合図をした方向指示器をつけて右同一速度で漸次道路の中央によつて行つたところ、被告三原は、原告を始めて認めた所から約三〇メートル進行(その際原告と約一〇・五メートルに接近)した地点で、原告が道路の中央によつて進行するのを見て、少し不安を感じ、多少減速したが、原告が右折するかも知れないとは全然考えず、そのまま直進するものと軽信して、原告の右側を追越そうとして、警音器を吹鳴せずに、道路のセンターラインから右側に進路を移したところ、案に相違して原告が交差点に入つた際ただちにその中央のあたりから右折し始めたので被告三原は驚いたがどうすることもできず、右交差点において、右折し了ろうとしている原告運転の第二種原動機付自転車の右側後部へ、被告三原運転の小型貨物自動車の前部バンバーの右側部分を衝突させて、前記のとおり原告を路上に転倒せしめたことが認められる。前記甲第一号証の七(被告三原の司法警察員に対する供述調書には、「原告は右折中方向指示器をつけていなかつた」旨右認定に反する供述部分があるが、被告三原の本件事故当時における行動から推して同被告は原告運転の第二種原動機付自転車の動勢を十分注視していなかつたことが窺われることや前掲甲第一号証の五(原告の司法警察員に対する供述調書)と対比して、右供述記載部分はにわかに措信できず、さらに、原告は、原告本人尋問の結果において、本件事故当時における原告が右折を開始するため道路の中央へよつた地点、その際の被告三原運転の小型貨物自動車の位置、速度、原告が右折を開始した際の被告三原の右自動車のそれ等について前記認定に反する供述をしているが、右供述は事故当時から相当長期間を経過した後になされたもので、しかもその指摘する被告三原運転の小型賞物自動車の位置は同車および原告運転の第二種原動機付自転車の速度等から推して不合理であり、また、前掲甲第一号証の四(実況見分調書)記載の被告三原運転の右自動車のスリツプ痕の位置と相違している等の点が認められるので、原告の右供述部分もにわかに措信できない。他に前記認定を覆すに足る証拠はない。

そこで、以上の認定事実より考察すると、本件事故現場の交差点の手前約一五・四メートルの所から原告が右折するため方向指示器をつけて漸次道路の中央によつて進行していたので、原告が同交差点において右折することは十分予想できたものであるから、この場合被告三原としては、ただちに、原告が同交差点において右折することを察知して、原告の右側を追越すことを止めるか、または、極力減速して警音器を吹鳴し、原告の動勢に注視して安全を確認してから追越をなす措置に出るべき注意義務があつたにもかかわらず、被告三原は、原告が直進するものと判断を誤り、その動勢に注視せず、わずかに減速しただけで、警音器も吹鳴せずに原告の右側を追越そうとして進路の中央より右側の方へ向つて進行したため本件衝突事故が発生したものであるから、これにつき被告三原に過失があつたことは明らかである。

そうすると、被告三原は、本件事故の直接の加害者として民法第七〇九条により、また、被告会社は、被告三原の使用者として同法第七一五条および本件加害小型貨物自動車を自己のため運行の用に供するものとして自動車損害賠償保障法第三条により、それぞれ、原告に対し、原告が本件事故によりこうむつた損害を賠償する義務があるといわねばならない。

三、原告の損害

(一)  財産上の損害

1、治療のため要した費用

〔証拠略〕を総合すると、原告は、本件事故により頭蓋骨骨折の傷害を負い(この点は当事者間に争いがない)、意識不明となつたため、ただちに、最寄りの愛媛県北宇和郡津島町立津島中央病院に運び込まれ、本件事故当日の昭和四一年五月二四日から九月一一日まで同病院に入院し、そこを退院してからも同四二年三月ごろまで通院し、治療費は国民健康保険によつたが、入院期間中の治療費のうち金一二万四、二五一円と退院後の同四一年一一月三〇日までの通院治療費のうち金四、五〇四円は原告の自己負担分として原告が右病院にこれが支払い義務があること、原告は、入院期間中、同四一年五月二四日から七月二五日までの間に右負傷の患部を冷やすため費消した氷の購入代金として金六、二〇〇円をそのころ支出し、さらに、栄養食餌代その他の雑費として合計金二万五、〇〇〇円(ただし、そのうちには原告に付添つた母の食事代一万五、八〇〇円―一日当り二〇〇円で七九日間―を含む)を出費したこと、そして、原告は、本件負傷につき、同四一年九月九日宇和島精神病院で診察治療を受けて、即日同病院にその治療費金一、八一九円を、ついで、同年一〇月二四日九州大学附属病院の脳外科で診察検査を受けて、即日同病院にその費用金一、八七八円を、それぞれ支払つたことが認められる。原告本人尋問の結果中には、前記津島病院の入院費のうち原告自己負担分は金一二万五、五二八円、通院治療費のうちのそれは金七、七二四円である旨の供述があるが、これを裏付ける資料の提出はないから右供述部分は採用できず、他に以上の認定を覆すに足る証拠はない。

ところで、前記栄養食餌代その他の雑費のうち原告に附添つた母の食事代合計一万五、八〇〇円(一日二〇〇円で七九日間)については、本件事故に遭遇しなくても原告は母の扶養義務者として普段その食事代を支出しており、附添看護のため普段の食事代より高額な金額の支出を余儀なくされたことの立証はないので、右食事代の支出は原告が本件事故によりこうむつた損害とは云えない。さらに、原告は、請求の原因四、(一)4において前記津島病院入院中の附添看護料金三万九、五〇〇円(一日金五〇〇円で七九日間)を損害として主張するところ、原告本人尋問の結果によると、右入院中原告の母が七九日間原告に附添つて看護し、その当時他から附添人を雇い入れると少くとも一日当り六〇〇円ぐらい支払う必要があつたことが認められるが、原告は右母に附添料を支払つておらず、また、これが支払義務を負担しておらないので、支出しない附添料を損害として請求することはできない。

そうすると右の母の食事代および附添料を除いた前記認定の治療費等合計金一四万八、八五二円は、原告の本件事故による負傷の治療のためいずれも必要な費用で、原告が本件事故によりその出費を余儀なくされたものであるというべきであるから、右金額は原告の損害である。

2、その他の出費

〔証拠略〕を総合すると、原告は農業を営み(この点は当事者間に争いがない)、普段は他人を雇わず、原告の先導で家中の者だけで田地を耕作していたが、本件事故により前記のとおり原告が負傷して入院したため、家人もこれに手を取られてともども耕作に従事することができなくなつたので、昭和四一年六月原告はやむを得ず、加賀田藤士一に原告方の田地四一〇平方メートルの田起し、稲の植付等を一括請負わせ、同月一六日同人にその報酬として金二万六、四〇〇円(当時の相場である九九平方メートル当り六〇〇円)を支払つたことが認められ、この認定を覆すに足る証拠はない。

そうすると、右報酬金は、原告が本件事故による負傷のためみずから耕作に従事できず、支出を余儀なくされたものであるから、右金員は原告の損害である。

3、得べかりし利益の喪失による損害

〔証拠略〕を総合すると、原告は、農業を営むかたわら昭和三八年五、六月ごろから農閑期にはいつも株式会社高月組に雇われて土木人夫として就労し、賃金を得ており、昭和四一年一月から四月までの間に原告が同会社から得た平均賃金は一カ月三万〇、六一六円で、原告は本件事故当時農繁期のため同社で就労していなかつたけれど、農繁期が過ぎれば同会社に雇われる予定になつていたが、本件事故の負傷で前記のとおり入院し、退院後も全治せず、通院治療の必要があつたため昭和四一年中は就労できなかつたこと、農繁期は毎年五月から六月中旬ごろまでの間と一〇月中であることが認められ、この認定を覆すに足る証拠はない。

そうすると、原告は、本件事故により負傷しなかつたならば、原告主張の期間(昭和四一年七月から一二月まで)のうち農繁期(一〇月)を除く期間(五カ月)中右高月組で就労してこれにより少くとも総額金一五万三、〇八〇円(一カ月当り従前得ていた平均賃金三万〇、六一六円)の賃金を得る筈であつたというべきであるところ、原告は本件事故によりこれが賃金を得ることができなかつたので、右賃金額に相当する得べかりし利益を喪失し、これにより同額の損害をこうむつたことが認定できる。

(二)  精神上の損害

本件事故発生の経過、原告の負傷の部位程度およびその治療の経過については、前段認定のとおりである。そして〔証拠略〕を総合すると、原告(大正九年六月二五日生)は、前記のとおり津島病院退院後頭痛と左手の機能障害の後遺症が残り、その後左手の障害は治癒したが、今なお、頭痛の後遺症に悩んでいること、原告は、子供四人と妻および母のいる一家の主人で、農業(田約一、九七五平方メートル、畑約一、四八〇平方メートル、他に山林約四、九六〇平方メートル)および乳牛(現在四頭)飼育により得た収入と原告が前記のとおり他で働いて得た労賃で生計を維持しているが、本件事故により、負傷して相当多額の出費を要したため牛を売却したり、親戚の者から借金したりして苦慮したこと、原告が前記津島病院入院中、被告会社の宇和島支店員が果物を持つて見舞に来、被告三原は四回ぐらい見舞に来たことが認められ、この認定を覆すに足る証拠はない。

そこで、以上認定の、本件事故発生の経過やこれによる原告の前記負傷は相当重症で、その治療に長期間を要し、前記後遺症が残つておること、その他、原告の経済状態、被告両名の見舞程度などの諸般の事情を考え併すと、原告が本件事故によりこうむつた精神的苦痛は相当甚大であることが推認でき、これを慰藉するには金四〇万円が相当である。

四、過失相殺

(一)  本件事故当日、原告は、交通整理の行なわれていない前記交差点の手前約一五・四メートルの所から、同交差点において右折するため、右折の合図をした方向指示器をつけて第二種原動機付自転車を時速約一〇キロメートルで漸次前記国道の中央によせて進行し、同交差点に達つした際ただちにその中央のあたりから右折を開始したが、後方から小型貨物自動車で追尾して来た被告三原が、原告が右折しないものと軽信して、その右側を追越そうとしたため、本件衝突事故が発生したことは、前記一および二において認定したとおりである。

そうすると、この場合における原告の右折の仕方は、道路交通法第三四条第二項に定める車両の右折方法に違反していないが、同法第五三条および同法施行令第二一条に定めるところによると、もう少し手前から右折のための合図をして道路の中央へ徐々に移行する措置をとるべきで、この点につき少々遅きに失したとの批難を免れない。

そもそも、諸車の往来のある本件のような国道と交わる交差点において車両を右折さす場合は対向車や後続車との衝突事故発生の危険度が極めて大であることは明らかであるので、右折する車両の運転者は右折のため道路の中央へ移行する際や交差点で右折を開始する際には、前後左右を見渡して対向車および後続車等の有無を確認し、その動勢を注視して、十分安全であることをたしかめてから右折体制に移行する等極力慎重な行動に出る必要があることは云うまでもないところである。そこで、当時、原告が右の見地における慎重な行動をとつたかどうかについてみるに、まず、前記甲第一号証の五(原告の司法警察員に対する供述調書)および原告本人尋問の結果において、原告は、原告で本件交差点の手前約一一メートルの所で後方を見たところ、後方約四二メートルのカーブの所を被告三原が脇見をしながら小型貨物自動車を運転して道路の右側端から中央に二メートルぐらいよつた附近を南進して来るのがわかり、ついで、右交差点の北側の線の所で後方をみたところ被告三原運転の右小型貨物自動車は後方約二二メートルのガードレールがなくなつた所に来ておつて、道路の右側端から中央に二、三メートルよつた附近を進行し、その際助手は脇見はしていたが、被告三原の方はどうしていたか覚えていない旨供述しているが、四二メートルも遠くへだたつた後方の車の運転手が脇見しているのが見えたということ自体納得できず、二回めに見た時はより近くなつているのにその際の被告三原の動勢については、記憶がないと述べているところからすると、当時原告は、後方を確認していなかつたとの疑いが持たれ、その上、前記二において詳述したとおり、右供述における被告三原運転の小型貨物自動車の位置等は当時における同車の速度やそのスリツプ痕から判断して不合理であることなどの点を彼此考え併すと、原告の右供述部分はにわかに措信できない。しかし、前記甲第一号証の四(実況見分調書)から認められる原告運転の第二種原動機付自転車の動勢や原告本人尋問の結果において、原告が、本件事故当時における被告三原運転の小型貨物自動車の位置や、その動勢につき不合理であいまいな供述をしていることなどを総合して考察すると、原告は前記交差点の手前で道路の中央へ移行する際や交差点で右折を開始する際にも後続車の有無につき一応気を配つたが、後続する被告三原運転の小型貨物自動車の動勢につき注視せず、同車との衝突の危険がないことを十分確認せずに、同車の方でよけてくれるものと漫然と期待して、右折体制に移行したことが推認できる。

果して、そうだとすると、本件事故発生については原告の側にも右折の合図が少々遅れたことと、後方を十分確認しなかつたなどの過失があつたといわねばならない。そして、先に認定した被告三原の過失の態様やその程度等を考慮すると、原告側の過失の度合と被告三原のそれとの比率は一対三であると認めるのが相当である。

(二)  してみれば、過失相殺の結果、被告両名は、原告が本件事故によりこうむつた財産上の損害および慰藉料のうち、おのおのその四分の三に相当する分についてのみ、賠償をなす義務がある。

五、保険金支払の抗弁

自動車損害賠償保障法に基き保険会社が保険金二九万九、二五七円を原告の前記津島病院における治療費として津島町に支払済であることは当事者間に争いがない。しかし、成立について争いがない甲第一一号証によると、原告は前記津島病院での治療を国民健康保険に基き受けたところ、その費用金四二万七、五一一円(入院および通院分を含む)の一〇分の七に相当する金二九万九、二五七円につき保険者である津島町が原告に保険給付をしたので、国民健康保険法第六四条第一項に基き、同町は、右保険給付の価額の限度において、原告の被告会社に対する本件損害賠償債権を代位取得し、これにより自動車損害賠償保障法による保険金の支払いを受けたことが認められ、この認定を覆すに足る証拠はない。

そうすると、原告の本件事故による財産上の損害は、先に三の(一)において認定した総額金三二万八、三三二円のほかに、津島町から保険給付を受けた右金二九万九、二五七円の治療費があることが認められ、前記のとおり過失相殺をすると、これらの合計金額の四分の三に相当する金四七万〇、六九一円が被告両名の原告に対する賠償義務のある分である。ところが、このうち、金二九万九、二五七円は右のとおり代位により津島町に移転し、同町に自動車損害賠償保障法による保険金が支払われているので、結局、これを差し引いた残額一七万一、四三四円が原告の被告両名に対し請求できる財産上の損害である。

六、結論

以上判断したところによると、被告両名は、各自、原告に対し、右財産上の損害金一七万一、四三四円と慰藉料金三〇万円(過失相殺を考慮しない慰藉料額金四〇万円を過失相殺の結果被告両名が負担する四分の三で除した金額)以上合計金四七万一、四三四円およびこの金員に対する弁済期の経過した後の日である昭和四二年一月一五日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるというべきである。

よつて、原告の被告両名に対する本訴請求は、右の限度において理由があるからこの部分を認容し、その余の部分は棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九、第九二、第九三条第一項を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 水地巌 重富純和 山崎末記)

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